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平安京(へいあんきょう)

794年(延暦13)10月,桓武天皇によって定められた日本の首都・都城。形式的には明治初年の東京遷都までの日本の首都。山城(山背)国葛野(かどの)・愛宕(おたぎ)両郡にまたがり,現京都市の中心部を占める。「延喜式」によると,規模は東西1508丈(約4.5km),南北1753丈(約5.2km)。長方形の京域を設定し,中央北端に大内裏(だいだいり)を,中心に朱雀(すざく)大路を設けるなどの構造は基本的に平城京など前代の都城を踏襲したが,平安京では宮城内の内裏と大極殿(だいごくでん)・朝堂院を明確に分離し,豊楽(ぶらく)院を造営するなどの独自性もあった。左右京それぞれに半坊分の北辺を設けたのに対応して大内裏を方2町から半坊分拡大し,上東・上西2門が宮城十二門に加わった。唐風文化摂取の気運が高まった嵯峨朝を中心とする9世紀初頭には,殿宮・門号を唐風に改め,京内各坊にも中国風の坊名が冠せられた。右京・左京を長安・洛陽と称するのもこの時期からである。しかし律令国家体制の崩壊とともに衰退し,10世紀後半にはとくに右京の荒廃と左京北部への住居の密集が顕著になり,居住域は京の範囲をこえて鴨川東岸に広がった。京の表玄関を飾った羅城門(らじょうもん)も980年(天元3)に倒壊し,以後再建されなかった。平安時代には天皇権力が弱体化し,一方で藤原氏という特定の氏族が台頭し,あるいは院政という特異な政治形態が出現したが,律令時代の畿内政権の権力構造がくずれていくなかで都城の存立基盤も崩壊した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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