河原者(かわらもの)
中世,京都鴨河原など不課税の地の河川敷に住み,斃牛馬処理・細工・行刑・井戸掘り・胞衣(えな)埋めなどの日雇的な雑業や肉体労働に従事した者を賤民視した語。「左経記」長和5年(1016)正月2日条に「河原人」の職掌として,斃牛の皮をはぎ,体内から薬用の牛黄(ごおう)をとりだしたとあるのが初見。その活動が盛んになるのは中世後期に入ってからで,宮廷や禅宗寺院の庭に河原の木石を運ぶうち,作庭に従事するようになった山水河原者(せんずいかわらもの)も現れた。作庭の名手とたたえられ,将軍足利義政に寵愛された善阿弥(ぜんあみ)と,孫の又四郎はその代表。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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