梶原景時(かじわらかげとき)
生没 ?~1200.1.20 鎌倉初期の武将。相模国鎌倉郡梶原郷(現,神奈川県鎌倉市)が本領。父は鎌倉景清(一説に景長)。通称平三。石橋山の戦で源頼朝の危機を救ったことや,弁舌に巧みだったことから頼朝に重用され,侍所所司として御家人の統制にあたる。1183年(寿永2)頼朝の命で上総介広常を殺害。平家追討にも従軍するが,屋島攻撃の際に源義経と作戦上の問題で対立,義経失脚の一因をつくる。84年(元暦元)には播磨・美作両国の総追捕使(そうついぶし)に任じられるが,頼朝の死後,結城朝光を源頼家に讒言(ざんげん)したことから有力御家人層の弾劾をうけて失脚。1200年(正治2)1月,謀反を企て上洛をはかるが,駿河国清見関(きよみがせき)付近(現,静岡市清水区)で在地武士の攻撃をうけ敗死。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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