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鹿児島藩(かごしまはん)

薩摩藩とも。薩摩国鹿児島(現,鹿児島市)を城地とする外様大藩。薩摩・大隅・日向3国から北・中部九州まで勢力をのばしていた島津氏の所領は,豊臣秀吉の九州平定で薩摩・大隅2国と日向国諸県(もろかた)郡に減封された。関ケ原の戦では西軍に属したが本領安堵。同藩初代藩主となった家久は1609年(慶長14)幕府の承認のもと琉球王国を侵略,以後琉球の進貢貿易を利用し,中国との貿易関係を保った。藩領は琉球王国を加えて72万8700石余。中世以来の支配関係が外城(とじょう)制度・門割(かどわり)制度などで藩体制に温存され,家臣も一般的に地方(じかた)知行で,逃散(ちょうさん)を除けば百姓一揆が非常に少なかった。新田開発や山ケ野・芹ケ野・鹿籠(かご)などの金山開発を行ったが,火山・台風などの自然災害や徳川氏との婚姻などで藩財政はしだいに窮迫。1753年(宝暦3)の木曾川治水の御手伝普請(宝暦治水事件)で決定的になり,1808年(文化5)藩財政改革をめぐる藩内抗争の近思録(きんしろく)崩れにより事態はさらに深刻化した。しかし三島(さんとう)砂糖惣買入制,琉球貿易の拡大,借銀の250年賦償還法などを骨子とする調所広郷(ずしょひろさと)による天保改革で,藩債500万両といわれた藩財政も好転。お由羅(ゆら)騒動後は斉彬(なりあきら)が藩政を主導し,洋式軍制・藩営事業を推進。国事政治にも参画した。斉彬死後は弟久光が実権を握り,雄藩連合政権を構想するが,のち下級武士出身の西郷隆盛の指導で幕末政争の主導権を掌握し,討幕を実現。以後維新政府の中心となった。詰席は大廊下。藩校造士館。廃藩後は鹿児島県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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