民部・家部(かきべ・やかべ)
ともに令制以前に豪族の支配下にあった隷属民。664年(天智3)の甲子の宣(かっしのせん)において,氏上(うじのかみ)の認定など一連の氏族対策として民部・家部が定められた。おそらくそれまで朝廷が未掌握であった豪族の隷属民がこのときはじめて把握され,支配が公認されたと考えられる。うち民部は部曲(かきべ)のことと考えられ,675年(天武4)廃止され,律令制下では公民とされた。家部はそのまま豪族の支配が認められ,律令制下では氏賤(うじやっこ)とされたと考えられる。このことから同じく豪族の隷属民といっても,家部は民部(部曲)より隷属性が強かったと推定される。なお民部と民部省,家部と家人(けにん)・家人部との関連を指摘する見解もあるが未詳。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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