甲斐国(かいのくに)
東海道の国。現在の山梨県。「延喜式」の等級は上国。「和名抄」では八代(やつしろ)・山梨・巨麻(こま)・都留(つる)の4郡からなる。国府ははじめ山梨郡(現,笛吹市春日居町)にあったが,平安中期には八代郡(現,笛吹市御坂町)に移ったと考えられる。国分寺・国分尼寺は八代郡(現,笛吹市一宮町)におかれた。一宮は浅間神社(現,笛吹市一宮町)。「和名抄」所載田数は1万2249町余。「延喜式」では調庸は布帛だが,中男作物として紅花・胡桃(くるみ)油・鹿脯(かのほしし)など。古代には甲斐の黒駒と称される良馬の特産地で,御牧(みまき)が設定され,平安時代には宮廷で駒牽(こまひき)が行われた。平安後期に甲斐源氏が勃興し,その一流武田氏が鎌倉時代以降,代々守護を独占した。戦国期には石和(いさわ)から躑躅ケ崎(つつじがさき)へ進出し,城下町として甲府を創建,信虎・信玄・勝頼の3代にわたり勇名をはせた。江戸時代には甲府藩とされ,譜代大名を封じたが,中期以降幕領となり,甲府勤番の支配となる。1868年(明治元)新政府軍が甲府城を占領,69年甲府県となり,71年山梨県と改称。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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