修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)
現在の京都市左京区,比叡山南西麓の修学院の地に後水尾(ごみずのお)上皇が造営した山荘。1655年(明暦元)着工し,63年(寛文3)までに上(かみ)の御茶屋・下(しも)の御茶屋とよばれる二つの庭園が完成。上の御茶屋には自然の谷川をせきとめて造った大池(浴竜池)の周辺に止々斎(ししさい)・隣雲亭・窮邃亭(きゅうすいてい)の三つの茶屋が設けられ,下の御茶屋には御座所となる寿月観(じゅげつかん)や蔵六庵などの御殿が配置された。70年頃には上皇の皇女朱宮(あけのみや)(のち林丘寺門跡)の御所が設けられ,1824年(文政7)幕府の援助で大規模な改修工事が行われた。明治期以降宮内省の所管となり,隣地の林丘寺境内の一部が移管されて中(なか)の御茶屋となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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