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志摩国(しまのくに)

島国・志麻国とも。東海道の国。現在の三重県南部の志摩半島および周辺の島。「延喜式」の等級は下国。「和名抄」では答志(とうし)・英虞(あご)の2郡からなる。国府と国分寺は英虞郡(現,志摩市阿児町)におかれた。一宮は伊雑宮(いぞうぐう)(現,志摩市磯部町)で,伊勢神宮内宮の別宮でもあり,国内には神戸(かんべ)も多く,神宮祭祀にも重要な役割を占める。「古事記」に「島之速贄(しまのはやにえ)」とみえ,島の多いこの地から,急ぎの便で魚介類が朝廷に届けられたと推定される。2郡で1国とされたのも御食国(みけつくに)としての伝統のためで,「延喜式」では調・庸・中男作物として多様な海産物があげられる。平野部が少なく田数もわずかなため,国衙財政も特異な運用となった。国守は膳臣(かしわでのおみ)との関係から,内膳正(ないぜんのかみ)の高橋氏が世襲。中世には御厨(みくりや)が多くたてられ,鎌倉時代末には金沢氏が守護となり,室町時代には志摩・伊勢両国の守護を兼任。守護所は泊浦(とまりうら)(現,鳥羽市)にあり,ここを本拠に戦国期には九鬼氏が台頭した。近世には鳥羽藩の支配下にあったが,以後藩主の交替は頻繁で,一時幕領となる。1871年(明治4)の廃藩置県で度会(わたらい)県となり,76年三重県となる。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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