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角倉了以(すみのくらりょうい)

生没 1554~1614.7.12 織豊期~江戸時代の京都の豪商・朱印船貿易家。幼名与七,諱は光好。了以は号。父は嵯峨の土倉(どそう)の角倉家の一門で医家の吉田宗桂,妻は本家筋で従兄の栄可の女。土倉の経済力を背景に,海外貿易と河川開発事業にたずさわった。朱印船貿易家としてはトンキンに船を派遣し,子の素庵(そあん),孫の厳昭がこれを継承した。1606年(慶長11)嵯峨の大堰川,翌年富士川の疎通を実現させた。10年方広寺大仏建立のため鴨川に水道を開き,翌年には高瀬川の運河を開通させて淀川経由で京と大坂を直結させた。このように高度な技術と財力を基盤に,幕府初期の経済交通政策に多大の役割を演じた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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