良岑安世(よしみねのやすよ)
生没 785~830.7.6 良峰とも。平安初期の公卿。桓武天皇皇子。母は女嬬(にょじゅ)百済永継。藤原冬嗣(ふゆつぐ)の同母弟。宗貞(僧正遍照)・晨直(ときなお)らの父。若くして狩猟を好み,多くの伎芸をよくした。802年(延暦21)良岑朝臣を賜姓されて臣籍降下し,右京に貫付。809年(大同4)従五位下。才により武官を兼ね,書や音楽もよくしたという。右近衛少将・雅楽頭・左少弁などを歴任し,811年(弘仁2)蔵人頭。その後左衛門督・右大弁を兼ね,815年に左京に貫付。翌年参議。821年従三位・中納言。のち按察使(あぜち)・春宮大夫・右近衛大将などを兼任。828年(天長5)大納言。「日本後紀」「内裏式」の編纂に従事。「経国集」に多くの漢詩を残す。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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