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インフォグラフィックで、もういちど読む山川世界史 Vol.05「ポリスの発展」
今から約2800年前、ギリシャの各地に「ポリス」と呼ばれる都市国家が成立しました。アテネなどポリスでうまれた民主政治の考え方は、「民主主義」の源流として現代に受け継がれています。
民主的な政治はなぜ成立し得たのか、ひいては今日の民主主義は合理的なあり方なのか、ポリスの社会が発展したプロセスから考えさせられます。
山川出版社『新 もういちど読む 山川世界史』の「ポリスの発展」(P.23〜24)から文章を抜粋し、インフォグラフィックを加えてまとめました。
ポリスの発展
社会が安定すると人口が増加し,
そのためギリシアの諸ポリスは
前8世紀なかばから約200年間,
市民の一部を地中海・黒海沿岸一帯に送って
さかんな植民活動をおこなった。
その結果,ギリシア人の世界はいちだんと広がり,
海上交易がうながされた。
その結果,ギリシア人の世界はいちだんと広がり,
海上交易がうながされた。
経済の発展にともない
商人・手工業者・農民の力がしだいに向上し,
やがて彼ら平民が貴族にかわって,
そのころ確立された重装歩兵制
のおもな担い手となった。
軍事的役割が増した平民は,
政治への参加を主張して
貴族と争うようになった。
アテネでは前6世紀初めに
ソロンが貴族と平民の対立を調停し,
ペイシストラトスの僭主政の時代をへて,
前6世紀末クレイステネスの
改革によって民主政治の基礎がおかれた。
僭主となるおそれのある人物を投票で
追放する陶片追放(オストラシズム)の
制度ができたのも,
このときのことと伝えられている。
前5世紀初め,2度にわたって
ペルシアは大軍を送りギリシア本土に侵入した
(ペルシア戦争,前500~前449年)。
このときまでに市民全員が
政治と国防にあたる体制をつくりあげていた
ギリシアの諸ポリスは,
スパルタとアテネを先頭に一致して
ペルシア軍を破り,ポリスの自由をまもった。
上陸したペルシア軍を撃退し,
近代オリンピック競技の「マラソン」の
起源ともなったマラトンの戦い(前490年)や,
ペルシア艦隊に大勝した
サラミスの海戦(前480年)が史上に名高い。
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