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4コマで柴田勝家〜すぐわかる戦国武将シリーズ〜

信長から越前国の支配を許され、加賀一向一揆を諸政策の断行により平定した柴田勝家織田信長の老臣であり、また信長の妹が妻でした。しかし、最後は秀吉に敗れ妻とともに自害した勝家。そんな彼の人生を4コマで振り返ります。

4コマで柴田勝家

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柴田勝家(しばたかついえ)

生没 ?~1583.4.24 織豊期の武将。織田信長の老臣で,近江・北陸侵攻に戦功をあげ,1575年(天正3)北庄(きたのしょう)(現,福井市)城主となる。越前国支配を許され,府中三人衆の前田利家・佐々成政・不破光治が目付として入封し,金森長近も指揮下に加わった。
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小谷の方(おだにのかた)

生没 1547?~83.4.24 お市の方とも。織田信長の妹(一説には従姉妹)。名は市。1567年(永禄10)末頃に近江国小谷城主浅井長政と結婚。信長の朝倉攻めの際,浅井氏が離反したため,信長に小豆袋の両端を縛って送り,危機を知らせたという。
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北庄(きたのしょう)

現在の福井市の旧称。足羽御厨(あすわのみくりや)の北荘であったためとも,足羽川の北岸にあったためともいう。
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加賀の一向一揆(かがのいっこういっき)

戦国期,加賀国を支配した本願寺門徒の一揆組織,および加賀門徒の一揆蜂起。加賀の本願寺門徒らは,1474年(文明6)富樫政親(とがしまさちか)と結んで守護富樫幸千代を撃破。
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織田信長(おだのぶなが)

生没 1534.5.12/28~82.6.2 戦国期~織豊期の武将。父は信秀。幼名吉法師。1546年(天文15)元服。信秀没後,本家の清須(洲)(きよす)・岩倉両織田家を滅ぼし尾張を統一。
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本能寺の変(ほんのうじのへん)

1582年(天正10)6月2日,明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を襲い,自刃させた事件。備中国高松城を囲む豊臣秀吉の戦況報告にもとづいて,信長は毛利軍との全面対決を決意。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし) 日本史

生没 1537.2.6~98.8.18 織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生れ。百姓弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。尾張を出,松下之綱に仕えた後,織田信長に仕える。はじめ木下藤吉郎。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし) 世界史

1537~98 日本の安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。織田信長に仕え,頭角を現す。本能寺の変に接し,明智光秀を討ち,続いて柴田勝家を破って信長の後継者となる。1590年全国統一を果たす。
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賤ケ岳の戦(しずがたけのたたかい)

1583年(天正11)4月,近江国賤ケ岳(滋賀県長浜市)付近での羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家の合戦。3月に両軍は北近江で対陣したが,岐阜で挙兵した織田信孝を討つため,4月16日,秀吉は大垣城に入った。
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