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世界一のメジャースポーツ サッカーの始まりとグローバル化

地球の津々浦々、200 を超える国や地域で2 億5000 万人以上がプレーするスポーツ、それがサッカーだ。人類の歴史上、これほど多くの国に普及し、商業的成功を収めている競技はほかにない。世界一のメジャースポーツになるまでに、サッカーはいったいどのような歴史をたどってきたのだろうか。『2018▶2019 エピソードで読む世界の国243』(山川出版社、2018年)から特別に記事を公開(一部編集)します。

サッカーの起源

サッカーの起源について、従来定説として広く知られていたのが、中世イングランドで普及した「モブ・フットボール」である。8 世紀頃のイングランドには、戦争に勝利すると兵士たちが切り取った敵将の首を蹴り合って祝う風習があった。それが大衆に伝播し、ボールを隣町の門に向かって蹴りながら運ぶ「祭り」として定着したとされているのが「モブ・フットボール」である。
もっとも、国際サッカー連盟(FIFA) は、科学的証拠が残る最古のサッカーの起源として、日本の「蹴鞠」のルーツである中国の「蹴鞠」を最新の説としてあげている。「蹴鞠」は、羽毛などを詰めた革製のボールを足や胸、背中、肩だけを使い、地面に立てた竹竿製のゴールに蹴り入れるもので、紀元前300 年頃に軍事訓練として考案されたといわれている。そのほか、アテネオリンピック(1896 年)でも採用された古代ギリシャのボールゲーム「エピスキロス(フェイニンダ)」や、8 世紀ごろに考案され、観客を集めるエンターテインメントとしても成立していたイタリアの「カルチョ」、12 世紀にブルターニュ地方(フランス)で盛んだった「ラ・スール」なども、何らかの形で近代サッカーに影響を与えたとされる。

近代サッカーの誕生

19 世紀半ばになると、イギリスでは軍隊や職場、酒場などの社交場などをベースとしたサッカークラブが次々と創設された。1830 年(天保元)から1860 年(万延元)までの間に限っても、国内には70 以上のクラブが存在していたという。この頃には、サッカーは労働者階級だけでなく、上流階級の子弟(13 ~18 歳)が通うパブリックスクール(公益私立学校)でも盛んに行われるようになり、1850 年代から1860 年代にかけては、スイスやベルギーのイギリス人学校でもプレーされ始めていた。
しかし、当時のサッカーには統一ルールがなく、いくつかの〝流派〟が混在していた。そのため対外試合のたびに、対戦相手とルールの調整をせねばならず、前半と後半で違うルールを適用することも珍しくなかったという。こうした中で統一ルール確立への機運が高まり、ロンドン市内の6 つのパブリックスクールの呼びかけに応じて、1863 年(文久3)に、ロンドンにある11 のサッカークラブと学校の代表者が会議が開かれることになった。ここで代表者たちは、統一ルールの策定と、その運用を行う団体の設立を行うことで合意。その後、6 回目の会議で「ボールを手で扱ってはならない」など、14 の項目からなる統一ルールと、世界初のサッカー競技団体「フットボール・アソシエーション(FA)」が誕生した。

"別格"のイギリス4協会

「フットボール・アソシエーション」の正式名称は〝The Football Association(The F.A.)〟といい、現在でも「イングランド」の名は入っていない。これは「元祖」「本家」だけに許される表記である。
こうした歴史から、サッカーは正式には「アソシエーション・フットボール(Association Football = 協会式フットボール)」と呼ばれ、ほかの〝フットボール〟とは区別されている。東アジアや北米などで使われている「サッカー (soccer)」 という名称も、この〝Association(協会)〟の〝soc〟に〝er〟をつけた通称である。こうした経緯もあって、FIFA は政治的には「ホーム・ネイションズ(Home Nations)」と呼ばれるイングランドを含むイギリス本土4 地域(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)の協会(イギリス4 協会)に、特権的な地位を認めている。たとえば〝1 国1 代表〟を原則とするFIFA においても、4協会はそれぞれ単独で加盟し、各々が代表チームを編成して国際大会に参加することが認められている。またFIFA の人事についても、7人の副会長のうち1 人は、必ず4協会のいずれかに割り当てられている。

世界への伝播

FA 設立から8 年後の1871 年(明治4)。イングランドでは15 のクラブが参加し、世界初の全国規模のカップ戦「FA カップ」が開催された。これを境に統一ルールによる試合が定着し始める。1882 年になると、イギリス4 協会によって競技規則や他の重要事項を決定する国際サッカー評議会(IFAB = International Football Association Board)が設立されている。これはサッカーのルールを決める世界で唯一の意思決定機関として現在でも機能しており、現行の評議会はFIFA が4人、イギリス4協会の各代表1人ずつ、計8 人で構成されている。

manchester-united-1656122_1920.jpgまた、大企業が母体となるクラブが急増したのもこの頃である。たとえば1878 年に創立されたマンチェスター・ユナイテッドは、もともと鉄道会社の従業員チームであり、同じくビッグクラブのアーセナルFC も、兵器工場の労働者によって結成された。

こうしたイギリス国内の動きと前後して、サッカーは海外へも伝播していく。その担い手となったのが、18 世紀半ばに始まった産業革命とともに、イギリスから海外の交易都市などに赴いた商人、軍人、技師、教師、移民たちである。そのため港湾都市でその国最古のプロチームが誕生した例も少なくない。

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