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4コマで「北方領土問題」

2019年こそ進展あるか!? 日本とロシアの長年の懸案、北方領土問題のポイントを振り返ります。
解説は『山川 日本史小辞典 改訂新版 』(2016年、山川出版社)より。

4コマで「北方領土問題」

領土を主張する両者には、こんな根拠があります。

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北方領土問題

歯舞群島・色丹・国後・択捉島の千島4島帰属をめぐる日本・ロシア連邦間の領土問題。日露通好条約にもとづいて4島の返還を主張する日本政府と,ヤルタ秘密協定を根拠に領有を正当化するロシア連邦政府とが対立している。またサンフランシスコ講和会議において日本が放棄した千島列島に北方4島が含まれるか否かについても見解がわかれている。1956年(昭和31)の日ソ共同宣言では平和条約締結後に歯舞・色丹の引渡しが同意されたが実現していない。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、905ページ、2016年、山川出版社

日露通好条約

日露和親条約・下田条約とも。日本が米・英に続いてロシアと結んだ和親条約。1855年2月7日(安政元年12月21日)ロシア使節プチャーチンと下田で調印。日米和親条約と大きな違いはなく片務的最恵国条款も同様にあるが,双務的な領事裁判権を規定した点に特徴がある。また択捉島とウルップ島の間を国境とし,樺太は国境をわけず従来どおりと規定した。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、752ページ、2016年、山川出版社

ヤルタ秘密協定

1945年(昭和20)2月11日ヤルタ会談のなかで,米・英・ソ3国間に結ばれた秘密協定。ソ連の対日参戦とその条件,第2次大戦後の東アジアに関する合意をその内容とする。ドイツ降伏後の2〜3カ月以内に対日戦にソ連が参加する条件として,外モンゴルの現状維持,日露戦争で失われた権益の回復(南樺太の返還,大連港の国際化と優先的使用権,旅順口租借権,満鉄の中ソ合弁会社による共同運営),千島列島の引渡しなどが定められ,さらに中ソ友好同盟条約の締結が約された。この協定はのち対日講和,日ソ国交回復,北方領土問題と関連して戦後日本の重大な政治問題となった。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、994ページ、2016年、山川出版社

日ソ共同宣言

1956年(昭和31)10月19日調印の国交回復に関する「日本国とソビエト社会主義共和国連邦との共同宣言」。全9条。戦争状態の終結,日本の国連加盟支持,通商貿易関係の再開,日ソ漁業条約の発効などが定められ,さらに平和条約締結後,歯舞・色丹の2島の日本への引渡しが合意された。サンフランシスコ講和条約に調印しなかったソ連との国交正常化交渉が,北方領土問題の介在にもかかわらず共同宣言にまでこぎつけたのは,米ソの「平和共存」時代を背景に,ソ連の「平和攻勢」外交と,軽武装・対米協調の吉田(茂)路線に対抗し自主外交路線をとる鳩山内閣の対ソ外交との間に一致点を見出せたからである。鳩山一郎首相が訪ソ,モスクワで調印された。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、756ページ、2016年、山川出版社

千島列島

北海道とカムチャツカ半島の間の弧状列島で,オホーツク海と太平洋を画する。大小23の島および岩礁などからなる。列島の南部と北部にはアイヌの人々が居住し,ラッコやオットセイを捕獲してロシアや蝦夷地と交易し,豊かな海産物を得て生活していた。18世紀初頭からロシアが南下し,天明年間(1781〜89)には幕府調査隊が得撫島に赴くなど,日露両国の接触がみられた。1855年2月(安政元年12月)日露通好条約により択捉島と得撫島の間に国境を定め,75年(明治8)樺太・千島交換条約により全域が日本領となった。これにともない84年占守島から北千島アイヌ97人を色丹島に移住させた。第2次大戦後はロシア(旧ソ連)の施政下にある。

山川 日本史小辞典(改訂新版)、628ページ、2016年、山川出版社

ソビエト社会主義共和国連邦

略称ソ連。バルト海岸より太平洋岸に至るユーラシア大陸北側に広がり,南は黒海と中央アジアに至る巨大な国家。革命によって生まれたロシア社会主義ソヴィエト共和国を中心に4カ国で1922年に結成され,40年に15共和国の連合と最も拡大し,スプートニクを飛ばし,人類初の宇宙飛行を行った。無料の高等教育と無料の医療,国民皆年金制,行き届いた都市の公共交通などがこの国の達成であるが,政治的自由と民主主義は制限されたままだった。

山川 世界史小辞典(改訂新版)、383ページ、2004年、山川出版社

ロシア

9世紀にキエフを中心とするルーシ(ロシアの古称)の国,東スラヴ族の国が誕生した。その分裂からモスクワ大公国が台頭し,16世紀にはヴォルガ川を越えて,シベリアへ進出した。17世紀後半にはウクライナを合併し,この世紀の末にロシア人はカムチャツカ半島南端に至った。ロシアという国名が正式に生まれたのは,18世紀初めピョートル1世の時代,ロシア帝国の成立のときである。以後,フィンランド,ポーランド,カフカース,中央アジア,極東沿海地方を併合・獲得した。文化的には19世紀に飛躍をとげ,文学,音楽,バレーの面で世界の最高水準に達した。19世紀末にシベリア鉄道を建設して,東北アジアに進出し,ハルビン,旅順,大連を獲得した。1905年朝鮮,満洲をめぐって起きた日露戦争で敗北し,最初の革命が起こった。06年憲法が制定され,二院制の議会が生まれたが,第一次世界大戦のなかで帝国は動揺し,172月,帝政は打倒された。帝国は崩壊を始め,十月革命後にロシア社会主義ソヴィエト共和国の成立が宣言された。フィンランド,ポーランド,バルト三国は独立した。22年に生まれたソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)は,40年には独立5カ国をのぞくロシア帝国の版図をほぼ回復するまでになった。80年代後半からのペレストロイカが進むなかで,91年のクーデタと革命により,ソ連が解体すると,旧ソ連の領土,人口の過半を占めるロシア共和国が継承国となった。新しい国名はロシア連邦で,三色旗が国旗と定められた。ロシア連邦の人口中,大ロシア人は8割を占める。しかし,残り2割は多くの民族からなり,連邦内の共和国も21を数える。93年憲法で民主主義連邦国家となった。

山川 世界史小辞典(改訂新版)、772ページ、2004年、山川出版社

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