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【歴史の転換期 Vol.3】消滅するアレクサンドロスの大帝国

 哲学者アリストテレスに教えを乞い、ペルシア帝国を崩壊させ、ヨーロッパ・アフリカ・ユーラシア大陸にまたがる大帝国を築いたマケドニアの王、アレクサンドロス。今回は、彼が作り上げた大帝国がなぜ消滅したのか、ローマ世界はどのように新しい世界を取り込んでいったのか、その過程を取り上げます。

大帝国はなぜ崩壊したのか?




 世界帝国の夢をいだいて東方遠征に出発し、インド西北部まで軍を進めたアレクサンドロス大王が道半ばにして急死すると、後継者争いが勃発。帝国は瞬く間に分裂しました。バルカン半島にアンティゴノス朝、シリアからイランをセレウコス朝、そしてエジプトにはプトレマイオス朝という、ギリシア・ヘレニズム文化のアイデンティティをもつ3王朝が競合する世界が誕生しました。ちなみに、これらの地域はアレクサンドロスが支配する前から様々な権力が競合する世界でした。

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中近東を理解するために

 中近東地域の歴史を見る上で、必要な素地として「競合性」を踏まえておくことは重要になってきます。今の中近東を見てもわかる通り、部族の争いの絶えない地であることは、良く理解できるでしょう。争っていることが常な地なのです。そうした地に、アレクサンドロスは、次から次にギリシア風都市をつくっていきました。エジプトで建設した海港都市アレクサンドリアは有名でしょう。ここは、のちにヘレニズム世界最大の都市として繁栄をきわめます。競合する部族たちを積極的に登用し、都市をおさめさせたりして、協調してゆく政策路線を打ち出しました。

ヘレニズム世界で求められたリーダーシップ像

 軍を指揮する才、自らの危険を顧みず戦う勇気、そして熟達した政治力。これが当時の王たちの理想の姿でした。アレクサンドロス大王は、理想とされるリーダー像そのものでした。また、ヘレニズム世界は、ギリシア世界がグローバル化した世界とも言えます。従って、アレクサンドロス大王の支配下から、それぞれの王朝による政治形態に変わったとしても、「自治と自由」といった古代ギリシア都市の流儀は、人々の考え方に色濃く残っています。こうして競合する3つの王国のリーダーたちは、自らが先頭に立って戦い、武力により獲得した都市に対しても貢納を免除し、「自治と自由」を認めました。降伏した都市の側は「自治」を認めてくれた王に名誉を与えました。このように表向き、王と都市との交渉は平和的で「ギブ&テイク」の関係をアピールしました。交渉の背後には、王と都市との冷酷な闘争が存在していたことは言うに及びませんが、王は相手を滅亡させることはしませんでした。

若き王の野望

ローマから一番近いヘレニズム世界の王がアンティゴノス朝のフィリッポス5世(写真)でした。彼にとって、ローマは他の競合する王国と変わりありませんでした。ローマより勇ましいハンニバル率いるカルタゴの方に、17歳の若き王は魅了されていました
 B.C.217年、20歳になったフィリッポスのもとに、象軍団を率いたハンニバルによるローマ攻撃の情報が伝わると、さっそく若き王は、ハンニバルと組んでローマを滅ぼそうという野望をもちました。ポリュビオスは『歴史』の中で「今こそイタリアに渡り世界を制覇する時だ」と王に進言するものもいたと記しています。夢に憑かれた子供のように、先頭に立って戦いに挑んでゆきました。

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イベリア半島の教訓を活かしたローマ

 これをきっかけに、ローマ軍の司令官が「東」にも目をむけたことで、ローマがヘレニズム世界の支配への階段を上り始めます。ギリシアの諸都市の中から協力者を見つけ勢力を広げてゆくローマの手法は、イベリア半島の場合と同じですが、勢力内に取り込んだ都市の扱いは違いました。郷に入れば郷に従い、ヘレニズム世界の王たちと同じように、支配下に置いた都市では貢納を免除し、自治を認めました。
 フィリッポス5世は、隣国セレウコス朝のアンティオコス3世と同盟を組んで、エジプトのプトレマイオス朝の領土にも進出してゆきました。プトレマイオス朝は、このフィリッポス5世の蛮行を非難し、ローマの派兵を要求します。これを引き金にローマは大々的にヘレニズム世界へ介入してゆきました。

ローマによる「流儀と信義」の融合とヘレニズム世界の消滅

 ローマは最初のうちはヘレニズム諸国の伝統的交渉手段を踏襲していました。もともとローマ人は「支配・被支配」の概念を強くもち、それは「命令・服従」という「ラテンの信義」に基づいていました。友好的であるにせよ武力的であるにせよ相手を滅亡させ、支配した都市は服従させる、という方法です。

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 「ギリシアの流儀」と「ラテンの信義」を何とか融合させたいと考えたローマが考えた方法は、「降伏後の処遇はローマの裁量次第で、降伏した都市の自治と自由を認める」ことでした。ローマはゲームのルールを変えてしまったのです。煙に巻かれた都市は、ローマの権威のもとでの「自由」を得ましたが、それは形を変えた服属でした。こうしてヘレニズム世界の都市はローマに支配されていったのです。

ギリシア流儀「自治と自由」の復活

 時は過ぎ、ヘレニズム世界にローマ帝国の支配が確立し、都市が帝国に服従するという相互理解が深まると、ローマはもとのようにギリシア都市の「自治と自由」を尊重するようになりました。各都市の自律的運営が帝国の安定的運営のために必要になったからでしょう。「飴と鞭」を使い分けたローマの方が、名誉を重んじる王たちより一枚上手だったということでしょうか。しかし、その精神までは束縛できず、ローマ人の間でギリシアの文化への心酔は高まり、のちの西欧文化の源泉となりました。

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編集部オススメの「こんな本を一緒に読むと面白い」

モラリア.pngプルタルコス(), 伊藤照夫(翻訳)『モラリア9』(西洋古典叢書), 京都大学学術出版会, 2011
 本書所収の『政治家になるための教訓書』には、抗争のなくなったヘレニズム都市で活躍を求める友人に、「今は戦争遂行や条約締結では活躍できない、弁論の腕をあげ皇帝へ派遣される使節団に選ばれるよう専心せよ」と忠告している。
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澤田典子,『アレクサンドロス大王 今に生きつづける「偉大なる王」』, 山川出版社, 2013
 神話と伝説に包まれたアレクサンドロスの実像を探る。さらに、後世につながる彼のイメージの変遷を辿る。オリバー・ストーン監督はじめ、数あるアレクサンドロスの映画も紹介されて興味深い。

シリーズ:歴史の転換期

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