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4コマで徳川家康〜すぐわかる戦国武将シリーズ〜

織田信長、豊臣秀吉と並ぶ三英傑のひとりです。人質として生きた若き日から戦国を生き抜き、天下人の座についたのは58歳のとき。戦乱の世を集結させ、250年以上続く江戸時代の礎を築いた徳川家康の生涯を4コマで振り返ります。

4コマで徳川家康

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関連用語

徳川家康(とくがわいえやす)

生没 1542.12.26~1616.4.17 江戸幕府初代将軍(在職1603.2.12~05.4.16)。三河国岡崎城主松平広忠の長男。母は同刈谷城主水野忠政の女(於大(おだい)の方)。岡崎生れ。幼名竹千代,通称次郎三郎,諱は元信・元康・家康と改称。法号安国院。
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松平広忠(まつだいらひろただ)

生没 1526~49.3.6 戦国期の武将。三河国岡崎城(現,愛知県岡崎市)城主。徳川家康の父。1535年(天文4)父清康の死後,清康の叔父信定に岡崎を追われた。
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織田信秀(おだのぶひで)

生没 1511~52?.3.3 戦国期の武将。織田信長の父。尾張国を代表する実力者となり近隣の大名と戦った。
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今川義元(いまがわよしもと)

生没 1519~60.5.19 戦国期の東海地方の武将。駿河・遠江・三河にわたる領国を築いた。1536年(天文5)兄遍照光院恵探(えたん)を倒して家督となり(花倉(はなくら)の乱),翌年武田信虎の女婿となった。
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織田信長(おだのぶなが)

生没 1534.5.12/28~82.6.2 戦国期~織豊期の武将。父は信秀。幼名吉法師。1546年(天文15)元服。信秀没後,本家の清須(洲)(きよす)・岩倉両織田家を滅ぼし尾張を統一。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし):日本史小辞典

生没 1537.2.6~98.8.18 織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生れ。百姓弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。尾張を出,松下之綱に仕えた後,織田信長に仕える。
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豊臣秀吉(とよとみひでよし):世界史小辞典

1537~98 日本の安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。織田信長に仕え,頭角を現す。本能寺の変に接し,明智光秀を討ち,続いて柴田勝家を破って信長の後継者となる。

五大老(ごたいろう)

豊臣政権末期の職制で,五奉行の上位。徳川家康・前田利家(のち同利長)・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元の5人の有力大名をいう。

石田三成(いしだみつなり)

生没 1560~1600.10.1 織豊期の武将。父は正継。近江国石田村生れ。早くから豊臣秀吉に仕え,秀吉の奉行として活躍。1586年(天正14)堺政所(まんどころ)を勤め,小田原攻め・朝鮮出兵などに功があった。
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関ケ原の戦(せきがはらのたたかい)

1600年(慶長5)9月15日,美濃国関ケ原(現,岐阜県関ケ原町)でおきた豊臣政権の主導権を争う戦。秀吉没後の豊臣政権は,五大老・五奉行による政務代行体制をとったが,しだいに五大老筆頭の徳川家康が政務を掌握した。
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江戸幕府(えどばくふ)

徳川将軍家を最高権力者として,江戸に存在した武家による全国支配政権。1603年(慶長8)の徳川家康の征夷大将軍職任命に始まり,1867年(慶応3)の徳川慶喜(よしのぶ)の大政奉還までの265年間,将軍は15代続いた。
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徳川秀忠(とくがわひでただ)

生没 1579.4.7~1632.1.24 江戸幕府2代将軍(在職1605.4.16~23.7.27)。初代将軍家康の三男。母は側室宝台院(お愛の方)。遠江国浜松生れ。幼名長松(長麿とも),のちに竹千代。豊臣秀吉の1字を与えられて秀忠。
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元和偃武(げんなえんぶ)

戦国争乱が1615年(元和元)の大坂夏の陣による豊臣氏滅亡で終息したこと。「偃武」とは武器をおさめる意で,戦争の終結を意味する。
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大坂の陣(おおさかのじん)

徳川氏が豊臣氏を滅ぼした戦。1614年(慶長19)冬と15年(元和元)夏の2度にわたる。関ケ原の戦ののち,徳川家康にとって豊臣氏排除は幕府権力の安定をはかるうえで不可避の課題であった。
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