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4コマでイラン革命 〜西欧化の先進国とみなされていたイランに何がおきたのか?〜

2019年、41年ぶりに日本から首相が訪問したイラン。かつて、イランは西欧化の先進国とみなされていました。そんなイランでイスラーム革命が起こったことは、世界に大きな衝撃を与えました。今回は、そんなイラン革命が起きるまでを4コマで振り返ります。

4コマでイラン革命

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関連用語

イラン革命(いらんかくめい)

パフラヴィー朝が打倒され,イラン・イスラーム共和国が樹立された「イスラーム革命」。近代化を強権的に押し進めたパフラヴィー2世への種々の不満は,石油収入急増(1974年)に際する富の不公平な分配などによって急速に高まった。78年1月の聖地コムにおける神学生デモ弾圧事件以後,幅広い反国王勢力が亡命中のホメイニーを核に結集した。同年12月10~11日のアーシューラーの大デモなどをへて国王は国外に退去。ホメイニーの帰国の後,79年2月11日に革命政府が全権を掌握した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語: イラン革命(いらんかくめい)

イラン

西アジアのイラン高原を中心とする地域。前8世紀末にメディアが建国され,ついで前6世紀にアケメネス朝が興り,西アジアの広大な地域を支配したが,前4世紀アレクサンドロス大王に滅ぼされ,セレウコス朝,パルティアが前3世紀から約500年間支配した。3世紀からのサーサーン朝期にはゾロアスター教が国教とされ,強勢と高度の文明を誇ったが,7世紀中葉アラブ・ムスリムの征服により崩壊。イラン系の人々はアラブの統治を受けた約2世紀の間にイスラームを受容し,イスラーム文化の発達に多大な貢献をした。9世紀半ば以降サッファール朝,サーマーン朝,ブワイフ朝などのイラン系国家が成立するようになったが,10世紀末からトルコ系のガズナ朝,セルジューク朝の支配下に置かれ,13世紀にはモンゴルの侵入とイル・ハン国の成立をみた。14世紀後半から15世紀には同じくモンゴル系のティムール帝国に支配された。16世紀初頭成立のサファヴィー朝は比較的安定した王朝で,十二イマーム派の国教化など重要な施策を行ったが,18世紀前半に崩壊。アフシャール朝,ザンド朝の支配ののち,18世紀末からトゥルクメン系のカージャール朝が統治したが,この間,英露帝国主義の好餌とされた。1925年に成立したパフラヴィー朝は急激な近代化・西洋化を進めたが,79年のイラン革命によって倒れ,イラン・イスラーム共和国が創設された。なお,国名は1935年,ペルシアからイランに改められた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:イラン

パフラヴィー朝(パフラヴィーちょう)

1925~79 カージャール朝を廃したレザー・シャーにより創始された。1941年,英露の強制により息子パフラヴィー2世に譲位。親子2代の国王は1979年のイラン革命に至るまで,上からの近代化・西洋化を推進した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:パフラヴィー朝(パフラヴィーちょう)

レザー・シャー

1878~1944(在位1925~41) イランのパフラヴィー朝の創設者。カスピ海南岸の出身。若くしてカザーク兵団に入り,1921年カージャール朝末期にクーデタに成功。軍司令官として実権を掌握し,25年王朝を創設し即位。ケマル・アタテュルクを手本に,各種の改革を断行。第二次世界大戦中,41年9月英ソの圧迫により退位し,44年ヨハネスブルグで客死した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:レザー・シャー

パフラヴィー2世(パフラヴィーにせい)

1919~80(在位1941~79) スイスなどで教育を受けたのち,1941年,英露の強制により退位した父レザー・シャーのあとを受け即位。61年以降の白色革命など開発独裁政策を断行。79年イラン革命に際して出国し,エジプトで病死。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:パフラヴィー2世(パフラヴィーにせい)

モサデグ

1880~1967 イラン石油国有化を行った政治家。民族主義が高まるなかで首相(在任1951~53)として石油国有化法を施行し,アングロ・イラニアン石油会社の施設を接収したが,1953年軍部クーデタで失脚した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:モサデグ

イラン・クーデター

1953年に起こったイランでの反動クーデタ。石油国有化運動を断行した国民戦線と対立したパフラヴィー2世は,8月16日,バグダードに逃れたが,CIAの協力を得て同月19日クーデタを起こし,国民戦線の指導者モサデグ首相を逮捕,国民戦線と人民党の大規模な弾圧を行った。これ以後,イランはアメリカへの従属を深めていくことになった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:イラン・クーデター

白色革命(はくしょくかくめい)

イランのパフラヴィー2世による広範な近代化・西洋化プログラムの総称。1961年に議会を停止した王は,土地改革,森林国有化,国有工場の払い下げと労働者への利潤配分,労使関係の規定,女性参政権実施,識字部隊の創設などからなる改革を断行し,イランの社会・経済構造の改革に成果をあげた。しかし,宗教勢力などによる不満は,のちのイラン革命の素地となった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:白色革命(はくしょくかくめい)

イラン石油国有化(イランせきゆこくゆうか)

イランの石油採掘は1901年に始まり,アングロ・イラニアン石油会社が採掘利権を継承した。利権料率はイランに有利に改訂されたが,第二次世界大戦後の民族運動で石油国有化要求が強まるなかで,イラン議会は51年石油国有化法を可決した。混乱による石油生産の激減,国庫の枯渇などの困難のため,イラン政府は54年国際石油会社(アメリカ,イギリス,オランダ,フランス系の8社で構成)と協定を結び,イラン政府は石油国有化に対し補償し,石油採掘精製は国際石油会社の担当などが決まり,イラン人による石油産業の自主経営はついに実現しなかった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:イラン石油国有化(イランせきゆこくゆうか)

中東戦争(ちゅうとうせんそう)

①〔第1次〕1948年にイスラエルが独立宣言をしたことに反対し,アラブ諸国がパレスチナに進撃したことから始まる。イスラエルにとっては独立戦争,アラブ側はパレスチナ戦争と呼ぶ。アラブ‐イスラエル戦争とも呼ばれる。翌年休戦したが,これによってパレスチナの約80%がイスラエル領になり,パレスチナ難民が発生した。②〔第2次〕スエズ戦争ともいう。エジプトは1952年の革命後,経済的自立をめざしてアスワン・ハイダム計画などを推進していた。56年7月,アメリカが同ダム建設援助を撤回したことに対し,ナセル大統領はスエズ運河国有化を宣言した。運河の国際管理案で失敗した英仏はイスラエルの突然のエジプト侵攻(10月29日)に続いてスエズ地区に出兵した。国連緊急総会は即時停戦を決議し,ソ連は英仏にミサイルで報復すると警告するなど,国際世論に押されたイギリス,フランス,イスラエルはエジプト侵略を断念し,57年3月までに撤兵した。スエズ運河はエジプトの国有化のもとで運営されることになった。③〔第3次〕1967年6月イスラエルが電撃的にエジプト,シリアなどを攻撃,短期間でアラブ側を撃破した。イスラエルはこの戦争を六日戦争と呼び,アラブ側は六月戦争と呼ぶ。イスラエルはこれによりヨルダン川西岸,シナイ半島,ゴラン高原などを占領した。イスラエルの撤退を含む国連安保理決議242が採択される。④〔第4次〕エジプト,シリアが1973年,イスラエルに進軍して開戦,軍事的にはイスラエルの有利に終わる。アラブでは10月戦争,ラマダーン戦争と呼び,イスラエルではヨーム・キップール戦争と呼ぶ。同年末にアラブ産油国がイスラエル支持国に石油を売却しないという石油戦略を発動したため,世界中で石油危機が起こった。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:中東戦争(ちゅうとうせんそう)

石油危機(せきゆきき)

oil crisis オイルショックともいう。①〔第1次〕1973年10月,第4次中東戦争を契機としてアラブ産油国がとったイスラエル寄りの国々への石油禁輸という政治的戦略と石油輸出国機構(OPEC)による原油価格の大幅引上げとによってもたらされた世界経済の混乱。石油輸入国の西側先進諸国は,石油の対外依存に由来する経済的脆弱性を安全保障上の問題として認識するようになった。②〔第2次〕1979年,大産油国であるイランに革命が起き,石油の供給不安と価格の高騰をもたらした。80年代初頭には,石油価格は史上最高となり,世界経済は再び混乱した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:石油危機(せきゆきき)

ホメイニー

1902~89 イランのイスラーム法学者,政治家。 1963年,アメリカへの従属と強引な近代化を進めるパフラヴィー2世を批判し,国外追放されイラクに移る。71年,イスラーム法学者による統治を主張する「ヴェラーヤテ・ファギーフ」論を発表,国外から反国王運動を指導し,79年のイラン革命の成功により最高指導者に就任。以後89年の死まで革命のカリスマ的指導者として活動した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語: ホメイニー

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