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インフォグラフィックで、もういちど読む山川世界史 Vol.07「古代ローマ帝国」

「ローマは一日にしてならず」「すべての道はローマに通ず」と、私たちも知ることわざになるほど、今も世界に大きな影響を与える古代ローマ。巨大な数百年にわたり帝国を維持し、繁栄した裏側には先人の知恵がありました。時代に合わせ、変わっていった政治システムに注目しローマの歴史を一気に振り返ります。
山川出版社『新 もういちど読む 山川世界史』の「ローマ帝国」から文章を抜粋し、インフォグラフィックを加えてまとめました。

インフォグラフィック

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新 もういちど読む 山川世界史

都市国家ローマ

ローマはイタリキ(古代イタリア人)の一派のラテン人がイタリア半島中部に建設した都市国家である。はじめは王政であり,一時北どなりの先住民族エトルリア人の支配をうけたが,前6世紀末に貴族が中心となって異民族の王を追い,共和政を樹立した。初期の共和政では貴族が政権を独占した。貴族と平民は身分的にきびしく区別され,最高官である2人のコンスル(執政官)や国政運営の中心機関である元老院の議員をはじめ,あらゆる役職は貴族によって占められた。しかしローマでも国防の主力がしだいに重装歩兵の平民たちに移り,それにともない,彼らは政権参加を要求して貴族と激しく争った。貴族は前5世紀初めから前3世紀初めにかけて平民にもコンスル就任を認めるなど譲歩をかさねて身分闘争をおわらせた。その後一部の富裕な平民と従来の貴族とがあたらしい支配層を形成して政権を独占し,また従来の元老院の力も根強く残っていたため,ローマの民主政は,ギリシアのそれにくらべる性格を異にしていた。

ローマの対外発展と社会の変質

身分闘争の解決をはかるかたわら,ローマは平民とりわけ中小農民を主体とする重装歩兵軍をイタリア各地に送って勢力を広げ,前3世紀前半には半島内の統一を実現した。
このころ西地中海ではフェニキア人の植民市カルタゴが力をふるっていたが,ローマは3度にわたるポエニ戦争(前264~前146年)により,これをほろぼした。また前3世紀末以降,東地中海にも兵を送り,ヘレニズム世界をしだいに支配下にいれ,前1世紀後半には地中海世界の征服を完了した。
しかし対外発展のかげで,それを推し進めた中堅市民である中小農民の没落がはじまっていた。長年の戦争によって戦死するものがふえ,また耕地の荒廃のために農業をやめるものも多かった。彼らの土地を買い占めたのは,征服地から大量に供給される奴隷を使って大規模な土地経営をおこなう有力者たちであった。征服地の属州から輸入される安価な穀物も中小農民に打撃をあたえ,彼らの離農と無産市民への転落をうながした。ローマ共和政の基盤はいまや根底からくずれようとしていた。

土地所有農民をつくりだそうとするグラックス兄弟の改革は,この危機の最初の打開策であったが,大土地所有者の反対のため失敗におわり,ローマは内乱期にはいった。有力者たちは閥族派と平民派とにわかれて争い,イタリアの同盟市の反抗や奴隷の反乱も加わって,混乱はさらに激しくなった。
有力者たちは閥族派と平民派とにわかれて争い,イタリアの同盟市の反抗や奴隷の反乱も加わって,混乱はさらに激しくなった。やがて共和政の伝統を無視する三頭政治(前60年)がおこなわれ,その結果カエサルが独裁権をえた。
彼は各種の改革をおこなったが,共和政の伝統を重んじる反対派に殺され,第2回の三頭政治(前43年)で登場したオクタウィアヌスのもとで,ようやく内乱は終結した。その後,ローマの共和政は,オクタウィアヌスの単独支配へと質的な転換をとげる。これまでの都市国家的な伝統によっては,もはや統治できないほどローマの支配領域が大きくなっていたことも,このような転換をうながす原因となった。

ローマ帝政の成立

ローマはカエサルの遠征によりガリアをも領土に加え,前1世紀後半には地中海周辺から西ヨーロッパにおよぶ大国家となった。この大国家を最初に皇帝として支配したのがオクタウィアヌス〈位前27~後14〉で,彼は元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号をうけ,共和政の形式を尊重しながらも,広範な権限を自分ひとりに集中させて統治の再編成をはかった。それは事実上の独裁であったから,これ以後をローマ帝政期とよぶ。五賢帝の時代(ネルウァからマルクス・アウレリウス・アントニヌスまでの5人の皇帝が在位した)に代表される帝政期の前半の約200年間はだいたい平和が続き,各地にローマ風の都市が建設され,属州民にもしだいにローマ市民権があたえられていった。トラヤヌス〈位98~117〉の時代に領土は最大となり,人びとはこの繁栄を「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)とたたえた。
しかし2世紀後半になると,東方のパルティアや北方のゲルマン人がローマ領内へ侵入しはじめ,ローマの平和は破れた。3世紀には軍隊がかってに皇帝を廃立する軍人皇帝の混乱期がうまれ,帝国は衰退への道をあゆみはじめた。

ローマ帝国の衰退

3世紀末のディオクレティアヌス帝〈位284~305〉は,国土を四分し,みずからの神性を主張しながら,巨大な軍隊と官僚機構をもつオリエント的な専制支配によって帝国を再建しようとした。ついでコンスタンティヌス帝〈位306~337〉はふたたび帝国を統一し,都を東方のコンスタンティノープル(ビザンティウム)に移した。帝は専制君主政を確立し,身分や職業の世襲化をはかった。このときまでに,ギリシア・ローマ特有の市民的自由は消滅していた。
専制君主政をもってしても,帝国の解体をふせぐことはできず,395年,テオドシウス帝〈位379~395〉はその死に際して国土を東西に二分した。このうち東ローマ帝国(ビザンツ帝国,395~1453年)はその後約1000年続いたが,西ローマ帝国(395~476年)はゲルマン民族の大移動のさなか,476年にほろんだ。

用語

ローマ

Roma[ラテン],Rome[英],Rom[ドイツ] イタリア半島のティベル河畔にラテン人の建設した古代都市国家。のち世界帝国に発展する。初めは王政であったが,前510年頃に共和政となった。・〔共和政期〕初め貴族のパトリキが政権を独占していたが,プレブスとの間に身分闘争が起こり,前367年のリキニウス・セクスティウス法,前287年のホルテンシウス法で一応の身分的平等が確立し,兵員会と平民会という二つの民会を通じて役人選出や立法が行われた。だが民主政には進まず,元老院,民会,政務官のうちの元老院に主導権のある貴族政的共和政が維持された。一方,3世紀半ばまでにイタリア半島を平定し,さらにカルタゴとの3回にわたるポエニ戦争に勝利を収めた。また東方にも進出して,都市国家から地中海帝国にまで発展した。しかし中小農民からなる重装市民団の没落がみられ,グラックス兄弟の改革にもかかわらず,市民兵原理の崩壊,奴隷制農業経営の発達は阻止できず,オプティマテス対ポプラレスの政争も激しさを加え,内乱の時代を迎えた。その結果,カエサルにみられる「一人支配」の傾向が強まり,前1世紀後半アウグストゥスによる帝政の樹立をみた。・〔帝政期〕前27年アウグストゥスが全地中海世界を統一して全権を一身に集め,プリンキパトゥスが成立し,事実上の帝政が始まった。以後五賢帝の時代(96~180年)まで「ローマの平和」が続き,トラヤヌス帝時代には帝国の版図は最大となった。しかし外に対しては守勢に転じ,内では奴隷制大規模農業経営は小作制に変わり,2世紀末から国運は衰退に向かった。軍人皇帝時代(235~284年)には内憂外患に苦しんだ。ディオクレティアヌス帝は国運の立て直しを図り,専制君主政(ドミナトゥス)をしいて帝国を再建し,コンスタンティヌス大帝も帝国維持の諸政策を進めた。しかしテオドシウス帝の死後,395年帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれ,前者は1453年まで続くが,後者は476年オドアケルに滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:ローマ

エトルスキ(エトルリア人)

Etrusci[ラテン],Etrurians[英] 古代イタリア北部に住んだ民族。民族系統は不明。小アジアから来住したとする説もあったが,諸民族が融合してイタリアで形成されたとする説が有力。ギリシア植民市にならって都市をつくり,前7~前6世紀が最盛期で,エトルリア(現トスカーナ地方)のほかに,カムパニアにも勢力を伸長した。前5世紀以降衰え,前3世紀にはローマに征服され独立性を失った。その芸術,宗教,制度,習俗はローマに多くの影響を与えた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:エトルスキ

元老院(げんろういん)

senatus 古代ローマの最高諮問機関。伝承ではロムルスが設置したといわれるが,建国当初から存在したと推定される。議員の定員は共和政初期には300,のちに600(一時900),任期は終身。初めパトリキのみ,のちにプレブスにも道が開け,前3世紀から財務官(高級官僚の最下位)が任期終了後選ばれて議員となったため,実質的な支配機関を構成した。年齢制限,のちには財産資格があった。帝政期には権限は縮小し,ディオクレティアヌス帝以後は元老院議員は名誉的称号と化した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:元老院(げんろういん)

コンスル

consul 古代ローマ共和政期の最高官職。執政官または統領と訳す。定員2名。任期1年。民会の一つである兵員会で選ばれた。初めパトリキに限られていたが,前367年以降プレブスにもその門が開かれた。政治と軍事の大権を握るが,政治の実権は共和政期には終身議員からなる元老院にあり,帝政期には有名無実の官に化した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:コンスル

ディクタトル

dictator 古代ローマの非常時の最高官職。独裁官と訳される。任期6カ月以内。元老院の提案でコンスルが指名,非常時の大権を持つ。第2次ポエニ戦争以降のスラ,カエサル(終身)のそれは,実質的にはより独裁的な別のもの。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:ディクタトル

ポエニ戦争(ポエニせんそう)

Poeni ポエニとはラテン語で「フェニキア人」の意味。ローマとフェニキア人の植民市カルタゴの間で地中海世界の覇権をめぐって,前後3回行われた古代の世界大戦。ローマを都市国家から世界帝国へ発展させた戦い。・〔第1次〕(前264~前241年)シチリアを主戦場とした。海軍の活躍で勝利を得たローマは戦後シチリアを属州とする(海外属州の始まり)。・〔第2次〕(前218~前201年)いわゆるハンニバル戦争。父子2代にわたりヒスパニアで勢力をつちかったハンニバルがカルタゴ軍を率いてイタリアに侵入し,半島各地でローマ軍を撃破した。しかし退勢を挽回したローマ軍はスキピオ(大)に率いられ,ザマの戦いでハンニバルを破り,戦いはローマの勝利に終わった。・〔第3次〕(前149~前146年) スキピオ(小)の率いるローマの遠征軍がカルタゴを包囲して破壊し,3次にわたる戦争に終止符を打った。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:ポエニ戦争

グラックス(兄)(グラックス(あに))

Tiberius Sempronius Gracchus 前162~前132 古代ローマの政治家。名門の出。母はスキピオ(大)の娘。前133年護民官として改革運動を行う。大土地所有者の土地兼併,ローマの国防力の担い手である中小土地所有者の没落の傾向を抑えるため,リキニウス法の更新を図り,大土地所有の制限,土地の再分配を行い,自作農創設を企てたが,元老院の保守派の反対にあって暗殺された。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:グラックス(兄)(グラックス(あに))

グラックス(弟)(グラックス(おとうと))

Gaius Sempronius Gracchus 前153~前121 古代ローマの政治家。名門の出。グラックス(兄)の遺志を受け継いで,前123~前122年護民官として穀物法,土地法,裁判法,市民権法などの改革立法を行い,騎士身分と民衆を味方につけ,元老院勢力を抑えようとしたが失敗し,騒乱のなかで自殺した。兄弟の改革の失敗ののち,ローマ史は内乱の時代に入る。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:グラックス(弟)(グラックス(おとうと))

オプティマテス(閥族派)

optimates ローマ共和政末期の党派。閥族派と訳す。「最善者」の意。保守的な元老院議員身分の集まりをさす。民会を足がかりとするポプラレスに対して元老院の権威を重んじる層である。代表的なのがスラ。共和政末期の内乱はオプティマテス対ポプラレスの政争ともみることができる。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:オプティマテス

ポプラレス(平民派・民衆派)

populares ローマ共和政末期の党派。民衆派と訳すが,広く一般市民大衆を基盤とする党派ではなく,オプティマテスにあい対立し,民会を足がかりとする人たちの集まりをさす。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:ポプラレス

三頭政治

triumviri[ラテン],Triumvirate[英] ・〔第1次〕前60年,ローマ市で民衆に最大の人気があるカエサルと,政治家のなかで最大の有力者であるポンペイウス,そして当時の最大の富豪であるクラッススの3名が,団結して政権を独占するために密約を結んだ。各人が元老院の反対のため個々には達成できなかったものを団結して達成しようとした。前56年にルカの会談で更新。前53年クラッススの戦死により解消。・〔第2次〕前43年,カエサル系のオクタウィアヌス,アントニウス,レピドゥスの3名は「国家再建三人委員」となり,元老院,政務官に制約されない政権独占を行った。彼らは閥族派の残存勢力を破ったが,のちレピドゥスは脱落し,アントニウスはオクタウィアヌスと戦って敗れた。オクタウィアヌスによってローマ帝政が開かれた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:三頭政治

カエサル

Gaius Julius Caesar 前100~前44 古代ローマの将軍,政治家。名門の出。前69年財務官,前63年大神官(終身),前62年プラエトル就任。前60年ポンペイウス,クラッススと結んで第1回三頭政治を始め,前59年コンスルとして国有地分配法案を提出した。前58~前51年にはガリアを平定し,アルプスの北をローマの版図に入れたため,西欧内陸部がローマ文化圏に繰り入れられた。前49年ポンペイウスと衝突してこれを倒した。前46年には10年任期のディクタトルに就任し,前44年これを終身とした。救貧,植民事業や太陽暦の採用などの諸改革を行ったが,権力を一身に集めたため共和政擁護者のブルトゥス,カッシウスらに暗殺された。彼の開拓した道を養子オクタウィアヌスが受け継いで帝政を開いた。文人としても優れ,『ガリア戦記』『内乱記』の史書を残している。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:カエサル

アウグストゥス(オクタウィアヌス)

Augustus (Gaius Julius Caesar Octavianus) 前63~後14(在位前27~後14) 古代ローマの初代皇帝。母はカエサルの姪。カエサルの養子。本名はガイウス・オクタウィウス。カエサル暗殺後,オクタウィアヌスと改名した。前43年にアントニウス,レピドゥスと第2回三頭政治を成立させ,カエサル暗殺者を撃破した。さらにレピドゥス失脚後,前31年にアントニウスをアクティウムの海戦で破り覇権を握った。前28年元老院の第一人者(プリンケプス)の称号を受け,さらに前27年アウグストゥスの称号を元老院から得,君主支配を始めた。その統治は元首政(プリンキパトゥス)と呼ばれるが,名目上は共和政,実質上は帝政であった。内乱後の秩序の回復に努め,ローマ市の装いを新たにし,属州統治に力を尽くすなど内政の充実を図り,「ローマの平和」の時代をもたらした。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:アウグストゥス(オクタウィアヌス)

五賢帝(ごけんてい)

ローマ帝国全盛時代に君臨した5人の名君。すなわちネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスの諸帝。ピウスまでは男子の実子がなかったため,各皇帝は貴族のなかから最も優秀と思われる者を後継者としたので,優れた皇帝が続き,ローマは内には最大の経済的繁栄と,外には最大の版図とを誇った。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:五賢帝(ごけんてい)

トラヤヌス

Marcus Ulpius Trajanus 53~117(在位98~117) ローマ皇帝。ヒスパニアの出身。軍職を歴任し,ネルウァ帝の養子となり,帝位を継ぐ。五賢帝のうちの第2番目にあたり,元老院と協調して統治を安定させた。対外的には積極的な進出を図り,ダキアを征服して,ローマ市のフォルムに記念柱を建てて,その勝利を祝った。また帝国の東方に遠征したほか,南方にも進出した。ローマ帝国の領土が最も大きく広げられたのは,帝のときである。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:トラヤヌス

「ローマの平和」(ローマのへいわ)

Pax Romana 前1世紀末のアウグストゥス時代から五賢帝時代までの約200年間の時代。古代ローマの黄金時代。外は辺境の守りが固く,内は治安が確立し,帝国の細胞をなす無数の都市の成員が平和を謳歌した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:「ローマの平和」(ローマのへいわ)

ディオクレティアヌス

Gaius Aurelius Valerius Diocletianus 240?~313頃(在位284~305) ローマ皇帝。初めディオクレスといい,兵卒から身を起こし皇帝となるや,帝国を2人の正帝と2人の副帝により分治する制度(四分統治)を始めた。国内や辺境の反乱を収め,帝国を統一して後期ローマ帝国の基礎を置いた。特に全国の行政制度を根本的に改革し,またカピタティオ・ユガティオと呼ばれる農業課税制度を始めて財政の建て直しを図ったが,貨幣価値の切下げにも頼ったため物価騰貴を招き,301年最高公定価格令を発した。伝統を守る立場から,303年キリスト教徒大迫害を開始したが失敗,退位した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:ディオクレティアヌス

四分統治(しぶんとうち)

tetrarchia ローマ帝政期の国家統治の一つの型。ディオクレティアヌス帝が導入したもの。286年帝国を二分したのち,293年正帝2人と副帝2人を置き,帝国を4人の皇帝に分割統治させた。この統治の型は同帝の退位後崩壊した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:四分統治(しぶんとうち)

コンスタンティヌス大帝(1世)(コンスタンティヌスたいてい(いっせい))

Flavius Valerius Constantinus ・ 274?~337(在位306~337) ローマ皇帝。コンスタンティウス1世の子。ディオクレティアヌス帝退位後の混乱をしだいに収拾し,312年にはローマ市に拠るマクセンティウスを破り,324年にはビザンティウムなどでリキニウスを倒して,全ローマ帝国を統一した。これまで全国で行われていたキリスト教徒の迫害を中止させ,ミラノ勅令(313年)を発布して信教の自由を定め,教会に物質的援助を与えた。さらにドナトゥス派紛争やアリウス派論争など教会内の紛争の調停に努め,キリスト教的ヨーロッパの出発点となった。330年新都コンスタンティノープルを完成し,また行政改革,幣制改革,軍制改革を進め,中世1000年の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の基礎を固めた。死ぬ直前,キリスト教徒となる洗礼を受けた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
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用語:コンスタンティヌス大帝(1世)(コンスタンティヌスたいてい(いっせい))

ミラノ勅令(ミラノちょくれい)

Edict of Milan コンスタンティヌス大帝が313年2月,リキニウス帝とミラノで会見した際,属州長官宛の書簡の形で発した勅令。キリスト教の信教の自由を認め,従来没収していた教会財産の返還を定めている。ただしこの勅令の発布を疑う説もある。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)
●出典
用語:ミラノ勅令(ミラノちょくれい)

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